深いヒーリング

ディープヒーリングクのセッションをしてもらいました。
そのセッションとそれからのプロセスはまるでフーマンのワークのようでした。
フーマンのリトリート中の夜の瞑想のときも、同じような波動に包まれて苦しくなりました。
フーマンのリトリート中にしたカルマ切りのワークを思い出しました。
ここのところ、苦しくて、何度となく祭壇のフーマンの写真を見つめていました。
そして、ディープヒーリングは、とても深いところまで達するのだということを、あらためて実感しています。
カルマ切りができるとか、何が直るとか、何か解消されるとかいうことではなく、本当にその人に必要な働きかけが自動的に起こるということを実体験した感じです。
ヒーリングエナジーフィールドで、クライアントの意識と、プラクティショナーの意識と、ヒーリングエネルギーが神秘の中で出会いひとつになるという感じです。
クライアントのエネルギーとプラクティショナーのエネルギーとヒーリングエネルギーがひとつになるという感じです。
その人の本質に触れていくという感じです。
それに干渉するとか、どうにかするということではなく、そこにいるというか、それに触れるというか、そういう感じです。
それは、クリニックセッションでセッションをしているをしているときも感じました。
ヒーリングエネルギーにつながり、ディープヒーリングをしていくには、より空っぽの、腹のすわったしっかりとした器が必要なのだと思いました。
ヒーリングハート、ノーマインド、そしてグランディング。
その人の本質の部分に触れる・・・、というか、ワンネスの意識でそこのドアが開くというか、その部屋に入るという感じです。
クリニックセッションでセッションをしているとき、新しいドアが開き、ちょっとだけ、ドアの向こうを体験させてもらったという感じです。
そして、私は、本質に触れていく、深く関わることを恐れ避けていたことに気づきました。
人にでも、物にでも、深く関わるということは、自分をさらけ出していくということ。
本質に触れるには、自分の本質で触れていかなければ、それには触れられない。
硬く自分を固め、表面に偽りの自分を装っている私には、それは、とても困難で、面倒で、不可能なことに感じていました。
自分を罪人、劣った人間のように感じ、私のような人間が、関わっては、嫌がられる、迷惑がられるという思いがこびり付いていました。
だから、深く関わることに、恐怖を抱いていました。
本質に触れることを渇望しながら、その周辺で誤魔化し妥協していました。
渇望の強さと同じくらい強く恐れていました。
しかし、それは恐怖ではなく、無条件の喜びだったのです。
もうエゴは降参して、自分の感じるまま、興味の向くままに、深く関わっていくしかないと思いました。
自分に制限をつけづに自由に深く関わって行きたいと思います。
そして、あらためて、ディープヒーリングに深く関わって行きたいと思いました。
今日は、自分の中のエネルギーもだいぶ落ち着いてきました。
とても静かでどっしりとした深いエネルギーになっています。
その中にいるととても心地よいです。

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